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細井広沢墓

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史跡・名勝・天然記念物

細井広沢墓 (ほそいこうたくはか)

資料ID 21712
文化財指定 国指定 史跡
所在地 等々力 公開

 細井広沢は、万治元年(1658)10月、遠州掛川に生まれた。父は、掛川藩の医師・玄佐。諱を知慎という。広沢はその号。11歳の時、江戸に出て、儒学を坂井漸軒に学んだ。また、肥後の書家・北島雪山に書の才能を認められ、文徴明正伝の書法を授けられた。他にも、兵学、武芸、天文測量術、歌道、絵画を修めて、そのいずれにも一家をなす程の才を示した。中でも書家としての名声は高く、その門流からは関
思恭・三井親知らを輩出した。元禄3年(1693)、34歳の時、柳沢吉保に召し抱えられ、後、水戸徳川家や幕府にも登用された。また、赤穂浪士の1人・堀部安兵衛と親交が深く、吉良邸打入にまつわる逸話も残している。
 享保20年(1735)12月23日、死去。等々力の満願寺に葬られる。享年78歳。法名は豪徳院孤有鄰大居士。同墓所には、やはり書家として有名な、その子・九皐も葬られている。著書に『国字国訓弁』『紫微字様』『観鵞百譚』などがある。
【関連項目】
・満願寺 [https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/21780/detail/]

世田谷デジタルミュージアム

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