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世田谷代官屋敷

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史跡・名勝・天然記念物

世田谷代官屋敷 (せたがやだいかんやしき)

資料ID 21914
所在地 東京都世田谷区世田谷1丁目29番18号 世田谷代官屋敷 工事中のため非公開 [マップで表示

 世田谷代官屋敷は、江戸時代に彦根藩世田谷領の代官を勤めた大場家の居宅である。大場家は、室町時代には世田谷城主吉良氏に仕え、天正6年(1578)頃に元宿(現在の世田谷区役所の辺り)から新宿(現在の上町の辺り)に移ったと伝えられている。
 寛永10年(1633)、世田谷領の15ヶ村(後に20ヶ村に加増)が彦根藩の江戸屋敷賄料として井伊家に与えられると、大場家は代官に登用される。当主六兵衛盛政が幼少であったため、一族の大場市之丞が代官職に就くが、元文4年(1739)に大場六兵衛盛政が代官となり、以降明治維新まで、同家がその職を世襲した。
 世田谷代官屋敷に現在残されている旧大場家住宅主屋は、大場六兵衛盛政が大寒となる以前の元文2年(1737)に建築され、代官就任後の宝暦3年(1753)に大規模な改修がなされ、式台の増築や表門の新築が行われたと考えられている。また、幕末には2階部分が増築されている。代官職として接客などを行う書院が設けられていたが、現在は残っていない。
主屋や表門の軒は四方とも船枻造りとして軒裏をふさいでおり、大場家が特別な価格であったことがうかがわれる。
 この屋敷は、六兵衛が代官に就任してから明治維新までの間、代官の役宅として使われていた。表門の前の通り、通称ボロ市通りは、矢倉沢往還とよばれる古道で、江戸と小田原を結ぶ主要道路であった。戦国時代、関東を制覇した北条氏により、世田谷は本拠地小田原城と戦略的な拠点である江戸城を結ぶ矢倉沢往還の途上の要所として重視され、天正6年(1578)に、元宿(現在の世田谷区役所の辺り)に対して、道筋に新たに宿を開き、その振興策として、世田谷新宿(現在の上町の辺り)に宛てて「楽市掟書」を発した。
 掟書によると1月に6日開かれる六斎市だったが、江戸時代には12月15日だけ行われる歳の市となった。明治に入ると新暦の導入に伴い、12月と1月に開催されるようになり、残り市と称した16日の市も定着し、現在のように12月15・16日と1月15・16日に開催されるようになった。
 市の商品は、正月用品や日用品のほか農具が多く扱われていたが、明治20年代になると商品に閉める古着やボロの割合が大きくなった。野良儀の繕いや草鞋の補強に使われるボロの需要は大きく、午前中に売り切れてしまうほどであり、「ボロ市」と呼ばれるようになった。
 その後、住宅化が進むにつれて、商品も大きく変わり、様々な商品が扱われるようになってきたが、世田谷の年末年始の風物詩として親しまれているボロ市は、現在でも代官屋敷の前のボロ市通りを中心に店が並び、多くの人で賑わう。
【関連項目】
・大場美佐 [https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/21918/detail/]
・大場弥十郎 [https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/21919/detail/]
・大場家住宅主屋及び表門 [https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/21707/detail/]
・世田谷のボロ市 [https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/21638/detail/]

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