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大山道と道標

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歴史

大山道と道標 (おおやまどうとどうひょう)

資料ID 22339
年代 寛延2年 (1749)
寸法 総高241cm
所在地 三軒茶屋2-13 公開 [マップで表示

大山道は庶民が大山詣でに盛んに利用した道で、赤坂御門から、青山、池尻、三軒茶屋を通り、世田谷上町を通過して二子玉川で玉川を渡って溝の口、更に厚木、伊勢原から大山に至る道です。伊勢原から先は秦野を経て矢倉沢の麓にある関所を越えて箱根足柄峠を越えるので、矢倉沢往還と呼ばれました。
矢倉沢往還は中世には小田原と江戸を結ぶ主要道路であり、中間付近にある世田谷は、交通の要衝として重視されました。江戸時代に入ると、幕府は東海道や甲州道などの開削に力を入れたので、その中間にある矢倉沢往還は脇往還として利用にとどまりました。
 しかし江戸時代中期から後期にかけて、江戸庶民の間に大山講がつくられると爆発的に大山詣でが盛んになります。次第に矢倉沢往還を三軒茶屋で分かれて、新町、二子を通る近道ができ、こちらが本道になりました。大山の山頂には、五穀豊穣、商売繁盛で信仰をあつめる阿夫利神社があります。雨降山大山寺も不動信仰の中心地となり、更に「大山に雲がかかると雨が降る」というので農民の信仰も厚く、旱魃のときには村の代表が水を貰いに何度も登拝しました。

世田谷デジタルミュージアム

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