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次大夫堀用水と滝下橋

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歴史

次大夫堀用水と滝下橋 (じだゆうぼりようすいとたきしたばし)

資料ID 36527

徳川家康の命により、駿河国小泉郷(現富士市)植松家の出身小泉次大夫吉治は、慶長2年(1597)から多摩川沿いの世田谷・六郷・川崎・稲毛4ヶ領の用水開発工事を開始し、慶長14年(1609)に完成させました。狛江から多摩川の水を取水し、世田谷領を通り下流の六郷領までそそぐ「六郷用水」の開削には、領内男性ほか女性も多く動員されたので、六郷用水は別名「女堀」とも呼ばれました。
世田谷地域では喜多見、岡本、等々力、野毛地区を通り、流域の10ヶ村あまりの水田を潤し、世田谷の住民は独自に「次大夫堀」とか「じでいぼり」と呼びました。
滝下橋は喜多見7丁目24番と26番の間にありました。用水の水を分水するタンゲイの堰から落ちる水が滝のようでその下に架かる橋なので滝下橋といいます。滝下橋付近は現在緑道となっています。

世田谷デジタルミュージアム

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