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世田谷の歴史

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中世の世田谷

掲載日:2019年7月1日

1.中世前期の武蔵国と江戸氏・喜多見氏

中世前期の武蔵国

 12世紀ごろの武蔵国は、保元・平治の乱を経て武家の棟梁となった平家一門の支配領域となり、平家による支配が20年続いた。しかし、鎌倉に拠点を置いた源頼朝が文治元年(1185)に平家を滅ぼして鎌倉幕府が成立し、本格的な中世、武士の世になっていった。

 13世紀に数々の政変の影響をうけて有力な武士団が滅ぼされると、かわって台頭した鎌倉北条氏に国内の武士の多くが従っていった。このようなことから、世田谷区域にも北条氏の政治的影響が強く及んでいたものと考えられる。

江戸氏と喜多見氏

 中世前期の世田谷区域を支配した武士団について不明なことの多い中で、注目されるのは、木多見郷(現世田谷区喜多見)の開発領主(名字の地)となった鎌倉御家人の木多見氏である。

 木多見氏は、武蔵国の在庁官人であった秩父平氏流の江戸氏の一族とされている。その江戸氏は、武蔵国の豊島郡江戸郷を名字の地とし、治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱の際、江戸太郎重長は「八箇国の大福長者」と頼朝に称された。重長の次男に「木多見次郎氏重(武重)」と載せる系図があるが、その実在は確認できず確かなことは不明である。江戸氏は、鎌倉時代以降になると、勢力は衰えてしまい、本領の江戸郷を離れることになってしまった。また、その後、江戸氏はいくつかに分かれ、戦国時代には世田谷吉良氏の家臣として活動する者も現れた。この吉良氏の家臣が、木多見郷を領有しており、文禄年間(1592~1596)には喜多見村の旧領を安堵され、江戸幕府の旗本となり、喜多見と改姓している。

喜多見氏(江戸氏)墓所

世田谷デジタルミュージアム

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