掲載日:2020年10月30日
新型コロナウイルス感染拡散防止に伴い公開中止となった「2020 世田谷区遺跡発掘調査速報展 最近の発掘・整理調査」を見ていただくため、デジタルミュージアム内にて展示内容を一部公開します。
堂ヶ谷戸遺跡は、仙川と谷戸川に挟まれ、北西から南東へ延びる標高38メートル前後の舌状台地上に立地する旧石器・縄文・弥生・古墳時代・古代の集落遺跡になります。
約12万平方メートルの範囲内には、区内最古級の旧石器時代の集落や400基以上の野外炉(やがいろ)が集中していた縄文時代早期の集落、墓壙・土坑を伴う広場を囲む中期環状集落、溝で区切られた範囲内に大型住居や中型住居が集まる弥生から古墳時代の集落などがあります。
出土品名 |
写真と解説 |
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顔面把手付土器 |
土器上部(口縁部/こうえんぶ)の一部が欠けていますが、ほぼ完全な形で出土した小型の土器で、樽(たる)のような形をしています。 顔面把手は、正面の顔の部分は細い目でつり上がり、口は三角形をしています。後ろには、渦巻文と三叉文(さんさもん/各辺が内側に向かって湾曲している三角形)、側面には三叉文がみられます。 土器の胴上半部は、貼り付けた粘土上に連続して爪で文様をつけた三角形や菱形に区画され、区画内には三叉文や土器にあてて半分に割った竹管を押しながら引く角押文が充填されています。土器の正面と裏面には一対の橋状把手がついています。また、本例のように、顔面把手のついた土器の類例として、背中側から両面に向かって両側に腕が伸びている工偶装飾があります。この土器もよくみると、左側には3本指、右側にはC字状の2本指の腕がみられます。 |
①深鉢形土器 ②鉢形土器 |
深鉢形土器はつくりが粗く、食べ物を煮炊きするための鍋として、ものを保存しておくための容器として用いられていました。浅鉢形土器は、深鉢形に比べて、きめ細かな粘土を用い、薄手で丁寧なつくりをしており、貯蔵や盛り付けの時に用いられています。 鉢形土器は、口縁部から底部まで直線的な形状をしている土器のこと(壺形土器のように、頸部にくびれがない土器)で、このうち、深さがありバケツ状の形をしたものを深鉢形土器、深鉢形に比べて浅い皿状のものを浅鉢形土器といいます。 堂ヶ谷戸遺跡第60次調査で出土した写真左の深鉢形土器は、上部(口縁部)には縄文(撚った縄を転がして文様をつけたもの)、胴の部分には粘土を貼り付けて区画をしたり、逆J字状の文様が施されています。その区画の中には、竹管を半分に割り押し付けた文様も確認できます。写真右の土器は、上部(口縁部)に粘土を貼り付けて区画され、胴部に縄文の文様はなくとてもシンプルなつくりの土器です。 |
壺 |
262号住居跡の床上から4点の壺形土器が出土しました。写真はそのうちの小型の壺型土器で、胴部分は全体的に丸みを帯び、底の部分は少し突出しています。よくみると胴部の底面に近い位置に小さな穴があいています。これは土器作りの途中、土器の表面にイネ(稲)の籾がついた痕と考えられます。 |
下野毛遺跡は世田谷区の南側中央に位置し、南側には多摩川、東側には等々力渓谷(谷沢川)、西側には国分寺崖線にそって多摩川に並行する丸子川が流れています。この遺跡は、これらの河川によって形成された国分寺崖線上の武蔵野台地の平坦面に広がる遺跡になります。
下野毛遺跡は、これまでの調査成果から、旧石器・縄文・古墳時代・中近世の遺構や遺物が多く見つかっており、遺跡の範囲は東西が約260メートル、南北が約370メートルで、面積は約68,000平方メートルと推定されています。
出土品名 |
写真と解説 |
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母岩 |
第16次調査では、約3万年前から3万2000年前の旧石器時代に石器製作を行った場所が発見されました。この母岩は、硬質細粒凝灰岩(こうしつさいりゅうぎょうかいがん)という石材で、同じ母岩とみられる破片(はへん)は79点見つかりました。このうち56点が接合し、接合すると中央が空洞となっていた。この空洞を埋める石核は見つかっておらず、別地点か別の遺跡に持ち出されたと考えられます。 今回の調査では、このように接合率が非常に高い剥片(はくへん)および石核が多く出土し、都内においても事例が少ないことから大変貴重な資料となっています。 |
顔面把手 |
顔面把手は、深鉢の口縁部に取り付けられたと考えられています。鼻は粘土を貼り付けて隆起し、目はみつまたに分かれて描かれています。左右で非対称の文様となっていて、頭部には左右に穴があいています。 顔面把手は1956年に吉田格氏によって調査された第1次調査についで2例目の出土となります。 |
野毛2号墳は、野毛大塚古墳の南西にある古墳で、これまでは直径16メートルの円墳と推定されていました。今回の下野毛遺跡第16次調査(2017年5月24日から2018年3月31日)において、調査区の南西隅に周濠(古墳の外周に掘られた堀)の一部が見つかり、その結果、周濠は弧状を描き、円形に廻っていますが、調査区南西端で途切れることから、前端が台形に開く前方部をもつ帆立貝形古墳であることが判明しました。同遺跡第6次調査(調査時期は1990年12月17日から1991年3月30日)の成果と同遺跡16次調査の結果を合わせると推定後円部径は約35メートルになります。
この古墳の周濠内からは、円筒の形をした埴輪(円筒埴輪)が出土しています。第6次調査では、周濠の底面を掘り込んで埴輪を組み合わせてお棺に再利用した「埴輪棺」も出土しています。
出土品名 |
写真と解説 |
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埴輪棺 |
下野毛遺跡第6次調査の際に野毛2号墳の周濠からまとまって出土し、完形となったのは3個体でした。いずれも円筒埴輪で、すべての埴輪には外面にヘラでかかれた記号があるのが特徴です。ヘラ記号は埴輪製作者のサインと考えられていて、写真の左から「×」「⌒」「ハ」と記されています。 |
野毛13号墳は、下野毛遺跡16次調査の際に発見された古墳になります。この古墳は、野毛大塚古墳の南側にあたる場所に位置しており、今回の調査で1辺が約25メートルの方墳の周濠が発見されました。
この方墳は、野毛古墳群で新たに発見された13基(古墳は1基、2基と数える)目の古墳のため、「野毛13号墳」とされました。
出土品名 | 写真と解説 |
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鉄鎌 |
野毛13号墳の溝の南西コーナー付近から土師器の高坏とともにみつかった鉄製の鎌。溝の底から約10~20㎝浮いた土中にあったことから、溝が埋まっていく過程で、改めて古墳での祭祀的行為が行われ、その際に供えられたものと想定されます。 |
古墳時代の土器には、土師器とよばれる茶色の土器と、須恵器とよばれる灰色の土器があります。二つは焼き方の違いによって区別されます。
土師器は地面に掘った浅い竪穴などを使って野焼きします。これに対して須恵器は、斜面などに掘った窯とよばれるトンネル状の穴の中で高温で焼いたものになります。
出土品名 |
写真と解説 |
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①土師器 ②須恵器 |
写真左の土器は、野毛13号墳の周濠からみつかった高坏(たかつき)とよばれる土師器になります。また、写真右の土器は、野毛2号墳の調査でみつかった須恵器の坏になります。 |