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旧石器時代から古墳時代の世田谷

掲載日:2019年3月19日

大昔の人々のくらし

 世田谷では約35,000年前の旧石器時代から人びとがすんでいました。まだ土器という土で作られたうつわはなく、木や石の道具を使って、きのみを食べたり、動物をつかまえたりして生活していました。ふだんは10人から20人くらいの集まりをつくって、いどうしながら、みんなでくらしていました。世田谷区では岡本や成城、瀬田などのほかのところよりたかいばしょ(こくぶんじがいせん)に人びとがすんでいた遺跡が残っています。
 じょうもん時代になると、村を中心としたくらしにかわりました。みんなで、じょうもん土器という、土のうつわに、なわのもようをつけたものをつくりはじめました。じょうもん土器は世田谷区のなかでたくさん見つかっています。
 やよい時代になると、きのみやどうぶつだけではなく、じぶんたちでお米をつくって食べはじめました。やよい土器という、じょうもん土器よりうすくて、かたい土器をつかって、お米をたいたり、スープをつくってくらしていました。
 それぞれの村はバラバラに生活していましたが、古墳時代になるといくつかの村がまとまり、くにができました。くにの王様がなくなるときには、大きなお墓がつくられました。これは古墳とよばれています。西暦400年ころになると、世田谷でも古墳がつくられはじめました。
 世田谷にもおおくの古墳があります。たとえば砧中学校のなかや喜多見の公園りょくちにあります。
 世田谷にあるもっとも大きな古墳は野毛1丁目の玉川野毛町公園の中にある野毛大塚古墳です。このかたちの古墳では、日本でもとてもおおきな古墳です。


 野毛大塚古墳は4人のお墓であることがわかっています。また、ふつうの人では手に入れられない武器などがみつかっています。その頃の大きなくにの中心であったえらい王様と深いかんけいがあったからだとかんがえられています。

 ほかにも土器、はにわ、どうのかがみ、まがたまなども見つかっていて、古墳の大きさやたくさんの出土品から、野毛大塚古墳は、今の東京、川崎、横浜のあたりの王様のお墓とかんがえられています。

世田谷デジタルミュージアム

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