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江戸時代の世田谷

掲載日:2019年3月19日

彦根藩領世田谷領と大場代官屋敷跡

 江戸時代のはじめ、彦根藩(ひこねはん)の殿様(とのさま)だった井伊直孝(いいなおたか)は領地を増やしてもらい、世田谷の20ヶ村を支配することとなりました。これを彦根藩世田谷領(ひこねはんせたがやりょう)と言います。井伊直孝は、世田谷領を支配するために、大場氏(おおばし)を代官(だいかん)に任命しました。大場氏は、かつて世田谷を支配していた吉良氏(きらし)の家来です。代官は、世田谷領から年貢(ねんぐ、今の税金)を集めるのが大切な仕事でした。

 大場氏が暮らしていたのが上町(世田谷1丁目29番地)にある世田谷代官屋敷(せたがやだいかんやしき)です。代官屋敷は江戸時代の後半に建てられたもので、国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されています。代官屋敷は大場氏が住む家であると同時に、代官としての仕事をする役所でもありました。江戸時代には、彦根藩の役人が来た時に使われる特別な建物もありましたが、今は残っていません。

 代官屋敷には、江戸時代に書かれた古い文書がたくさん残されています。これらの文書は、代官屋敷の隣にある世田谷区立郷土資料館(せたがやくりつきょうどしりょうかん)で展示しています。古い文書からは、江戸時代の世田谷の様子を知ることができます。こうした文書の中には、代官の妻であった大場美佐(おおばみさ)が書いた日記もあります。代官妻という立場から書かれた日記には、七夕(たなばた)のお祝いをしたとか、誰が家に来たとか、代官の家の日常生活が書かれています。江戸時代の終わりから明治時代にかけての世田谷の人びとの暮らしの様子がわかるユニークな史料です。

 

世田谷デジタルミュージアム

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