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江戸時代の世田谷

掲載日:2019年3月19日

江戸と世田谷

 世田谷は江戸という大都市の近くにあった農村でした。世田谷にひろがるのどかな風景や社寺などは、江戸の人々がちょっとした遊びに出かけるにはちょうどよい場所でした。とくに多摩川は景色のよい場所として知られており、そのすばらしいながめや鮎(あゆ)の味覚を楽しみに多くの人がおとずれました。将軍もたびたびおとずれ、瀬田の行善寺(ぎょうぜんじ)が休息所となりました。

 そのほかにも、江戸名所図会(えどめいしょずえ、今でいう江戸近辺の観光案内)では、森厳寺(しんがんじ)や豪徳寺(ごうとくじ)、浄真寺(じょうしんじ)、喜多見氷川神社(きたみひかわじんじゃ)などが紹介されています。こうした場所には江戸からも多くの人が遊びにきていました。

 世田谷の農村の人びとの中には江戸の文化人と交流を深める人も多かったようです。多くの人が世田谷をおとずれるようになると、江戸の文化や当時の最新の知識をもった文化人も多くやってきました。こうした交流の中から、世田谷の村からも文化人があらわれることになります。

 石井至穀(いしいしこく)は大蔵村の名主(なぬし)の家に生まれましたが、おさないころから学問をこのみ、32歳のときに名主を弟にゆずり、江戸に出て幕府の家来となり書物奉行(しょもつぶぎょう)になりました。世田谷の歴史の研究も行い、多くの書物を残しました。

世田谷デジタルミュージアム

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