キーワード 玉川電気鉄道株式会社、新町住宅、成城学園
東京の近郊農村であった世田谷に郊外住宅を建築したのは政財界の人々で、別荘として利用していました。明治末期、役人や軍人、大企業の正社員といった人々は、日々の生活を送るのに都心へ通勤・通学し、こうした人々のためにまとまった住宅地が開発されていきます。
玉川電気鉄道の沿線に造成された新町住宅はその先駆けといえるでしょう。住宅地開発と鉄道の敷設に加え、大正12年(1923)9 月、関東大震災を機に東京中心部から移転する人が増えました。
世田谷のまちなかを歩くと、玉川地域では、どこまでもまっすぐ道が続き、場所によっては交差点ばかりのところがあります。成城周辺では一方通行が多く、碁盤状に道路が敷かれていることに気づきます。これらは住宅開発や耕地整理事業によって住宅が開発されたことをしめしています。