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世田谷城跡

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考古

世田谷城跡 (せたがやじょうせき)

資料ID 21614
分類 遺跡 > 城館跡
時期 室町時代
文化財指定 都指定 旧跡
所在地 豪徳寺2丁目 公開 [マップで表示

 世田谷城は、清和源氏・足利氏の一族である吉良氏の居城として知られている。貞治5年(1366)に吉良治家によって築城されたと言われているが、正確な築造時期は不明。その一部、世田谷城址公園付近には土塁と空堀の一部が残されている。
 吉良氏がいつから世田谷に所領を持ち、移り住んだかは定かではないが、永和2年(1376)に吉良治家が鶴岡八幡宮に宛てた寄進状からこの頃に世田谷に所領を持っていたことが分かる。その後、15世紀には「世田谷吉良殿」、「せたがや殿」などと呼ばれていることから、世田谷に館を構えていたと考えられている。
 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めによる北条氏の没落に伴い、吉良氏は上総国生実(現在の千葉市)に逃れたことから、世田谷城は廃城となった。また、城内には吉良氏ゆかりの「弘徳院」(豪徳寺の前身)が存在していた。現在は、郭、土塁や空堀の一部をみることができる。最近行われた弘徳院境内と推定される地区の発掘調査で、空堀、土塁のほか、掘立柱建物、井戸、地下式坑などが発見されている。

世田谷デジタルミュージアム

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