資料ID | 21715 |
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文化財指定 | 都指定 旧跡 |
所在地 | 粕谷1丁目20番1号 [マップで表示] |
徳冨蘆花は、豪農・徳富一敬の次男として、明治元年(1868)10月25日(新暦12月8日)、肥後熊本に生まれた。本名は健次郎。兄は近代を代表する論客・徳富蘇峰。
『自然と人生』『不如帰』などを著わり、文壇に独自の地位を築いた。明治39年(1906)、パレスチナを経てロシアに渡り、トルストイを訪問。土に生きることに感銘を覚え、帰国する。翌年、青山高樹町より千歳村粕谷の地へ移住し、そこで「美的百姓」を称し、半農生活を送りながら著作活動を続けた。その頃の様子を綴ったのが随筆『みみずのたはこと』である。同書には、江戸時代の純農村から大都市近郊農村へと変貌しつつあった当時の粕谷の様子が生き生きと綴られている。
昭和2年(1927)9月18日死去。享年60歳。
蘆花恒春園内には、蘆花旧宅のほか、愛子夫人居宅。表書院「梅花書屋」、奥書院「秋水書院」等があり、昭和61年(1986)に東京都の指定を受けている。また、その墓は隣接する共同墓地にあり、墓碑は兄・蘇峰の筆になるものである。