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筏道と念仏車

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歴史

筏道と念仏車 (いかだみちとねんぶつぐるま)

資料ID 22340
年代 文政4年
員数 1
寸法 高さ148㎝
所在地 喜多見7-8 公開 [マップで表示

 喜多見7丁目8番、筏道と中道の交わるところに念仏車がある。念仏車とは念仏を唱えながら廻すものであり、一回廻す毎にお経を一度読んだと同じ功徳があるとされ、念仏の功徳をより効率よく広めるものとして造立されたと考えられる。当地の念仏車には石造四角柱の上部に六角形の車輪が取り付けられており、各面に「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれている。
 銘文によるとこの念仏車は文政四年(1821)十一月、喜多見郷の「女念仏講中」によって建てられた。念仏講は女性のみによって構成される場合がままあり、このような念仏講による地蔵などの造立例が区内でも幾つか認められる。しかし区内で近世以前に造立された念仏車の遺例は他に見られないので、この念仏車は近世世田谷の女性による信仰の遺例としてはかなり貴重な例といえる。
 筏道とは、その昔、多摩川の上流から材木を筏に組んで川を下り、下流の羽田でそれを引き渡した筏師(いかだし)たちが、我が家に帰るためにさかのぼっていった道をいう。筏師が通った時代に「いかだみち」と呼ばれた古道である。筏師の通る村には宿ができ、商いをする農家も現れた。

世田谷デジタルミュージアム

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