資料ID | 3 |
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分類 | 文書類 > 斎藤寛斎関係史料 |
員数 | 30点 |
文化財指定 | 区指定 有形文化財(歴史資料) |
文化財指定日 | 平成3年1月24日 |
斎藤寛斎は文政4年(1821)上総国武射郡山中村に生まれ、幕末維新期に赤報隊に加わり、相楽総三(さがらそうぞう)らと共に、討幕運動に身を挺した。しかし維新後、赤報隊は偽官軍とされ相楽ら首脳は処刑、寛斎は追放される。中馬引沢村に戻った寛斎は、相楽の意思を継いで子弟教育の重要性を説き、学校設立の運動を起こした。相楽の理想と寛斎の強烈な意思とにより、太子堂郷学所は明治4年(1871)に設立された。史料には、郷学所設立に関する資料のほか寛斎が東京府にあてて記した意見書などが含まれる。