資料ID | 36489 |
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所在地 | 東京都世田谷区八幡山1丁目12番2号 八幡社 公開 [マップで表示] |
中国では、庚申の夜に人体に住んでいる三尸(さんし)という霊虫が睡眠中に逃げ出してその人の罪を天帝に告げるということから、虫が逃げないように徹夜で過ごすという習慣があった。
日本でも平安期にはすでに行われており、これが室町期ごろには次第に仏教的な色彩を帯び、庚申供養塔などが造立されるようになった。また、民間にも広く普及したことにも相まって、各地にその供養塔が造立されるに至った。この供養塔を庚申塚、または別に庚申塔といい、江戸時代を通じて全国的に造立された供養塔である。
中世期には、板碑などの表面に「申待」、「庚申供養」という字だけ彫ったものがあるが、江戸時代になると、山王猿と習合して「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿や密教尊像である青面金剛像などを集尊として彫った石塔が一般的となっている。
3基あるうち、一番右の碑は、宝暦7年(1757)10月吉日、像容は青面金剛像、三猿、駒形。中央の碑は、享保7年(1722)6月15日、像容は青面金剛像、三猿、板状駒形。左の碑は、寛保3年(1743)10月24日、像容は青面金剛像、三猿、駒形。
【関連項目】
・八幡社 [https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/21908/detail/]