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世田谷の歴史

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デジタルミュージアム特別展示

掲載日:2020年10月27日

【原始・古代】石器の移り変わり -世田谷の旧石器から古墳時代まで-

【原始・古代】石器の移り変わり -世田谷の旧石器から古墳時代まで-

 今から約40,000年から35,000年前に始まった旧石器時代(世界史的に見ると、日本の旧石器時代は後期旧石器時代初頭から始まったとされる)から、人々は石を打ち割って石器を作り、それを生活に必要な利器として使用してきました。そして時代とともにその素材や形状、加工方法に絶えず改良を加えながら、多様な目的に活用してきました。狩猟や漁労の道具をはじめとして、木の伐採や加工、食用のための木の実の磨りつぶしや穂摘み、また衣服用の皮なめし、さらには儀式用の祭祀具・模造品など、その適用範囲は実に広範に及びます。
 先史時代の遺跡から出土する遺物の中で、石器は土器とともに最も代表的な遺物です。歴史研究(とくに考古学)において、石器の移り変わりを確認することは、時代や時期を決める指標であり、特にまだ土器を知らない旧石器時代には、石器の特徴が重要なタイムスケールになり、あらゆる研究の基礎となります。

 本展示では、“世田谷区内の遺跡から出土した石器・石製品をとりあげます。実物の写真を並べて形や加工方法などの特徴に着目しながら、世田谷の旧石器時代から古墳時代までの石器・石製品の変遷を概観したのち、最後に簡単な解説をつけた模式図による変遷表を附しました。

「石器/石製品」
について

 本来、歴史研究において石器と石製品では意味するものが異なりますが、本展示では便宜的に「石器」については石を加工した道具全般を指す広義の意味に用います。
 石器(せっき)…岩石を加工した道具。日常的に使用される、利器、武器、生活用 

         具や、装身具、祭祀具など多様な用途があります。とくに旧石器

         時代と縄文時代、および弥生時代一部の石製の道具を指すことが

         多く、加工方法によって大きく打製(石を打ち割って成形)と

         磨製(打ち割った後に磨く)の2種類に分けられます。

 石製品(せきせいひん)…岩石を加工した道具。日常的な利器の石器に対して、

             祭祀などの非日常品が多く、古墳時代の碧玉

            (へきぎょく)製品・石製模造品を指すことが多いです。

石器の「器種」について

 石器の形の種類。外形や寸法、刃部の位置や調整方法などで区別します。
 使用目的による違いや、時間的変化による違い、地域による違いがあります。
 石斧(せきふ)、ナイフ形石器(ないふがたせっき)、細石刃(さいせきじん)、尖頭器(せんとうき)、石鏃(せきぞく)、石包丁(いしぼうちょう)、また台石(だいいし)、石皿(いしざら)、敲石(たたきいし)、磨石(すりいし)などの礫

石器(れきせっき)があります。

石器の「石材」
について

 先史時代の石器は「人の手の延長」とよべるほど生活に密着した道具でした。そのため、石材の選択は用途に合わせて慎重に行われました。遺跡で出土する石材には、遺跡の近場で入手できるものに限らず、遠隔地でなければ入手できないものもあります。
 世田谷区を含む武蔵野台地周辺では、付近の多摩川からチャートや砂岩などが採取できますが、黒曜石(こくようせき)や硬質頁岩(こうしつけつがん)などは近場では入手できない石材です。
 黒曜石は長野県中部高地(和田・諏訪・蓼科(たてしな))・神奈川県から静岡県(箱根・伊豆)・東京都神津島(恩馳島(おんばせじま)・佐糠崎(さぬかさき))・栃木県高原山など、硬質頁岩は日本海側の東北南部から北陸に産出する遠隔地石材です。また神奈川県相模川周辺の硬質細粒凝灰岩(こうしつさいりゅうぎょうかいがん)や、関東地方の周辺部に産出する黒色安山岩や黒色頁岩などは、中間距離の石材といえます。
 石材の選別は旧石器時代において特に厳密に行われていて、時期によって石材の用い方に大きな変化が見られるため、遺跡への搬入方法や経路をめぐって様々な研究がなされています。

「層位」について

 とくに石器が年代の指標となる旧石器時代においては、基本的には遊動生活であったと考えられており、地面を掘り込んで作る住居跡などのまとまった遺構が出土することはあまりありません。そのため時代や時期を求める際には、遺物とその遺物が出土した土質や含有物を指標とする層位が基準になります。
 世田谷区内における層位は多数の層から成り立ちますが、おおきくⅠ層からⅩ層(※)までの10層に分けて表記しています。(※自然堆積層はローマ数字で表されます。)以下の土層模式図は、世田谷区の平均的な層位と深さを簡略に表した図になります。
 Ⅰ層は現代の耕作土や弥生時代以降の遺物・遺構を包含する黒色土層、Ⅱ層は縄文時代の遺物包含層となる黒褐色土層、Ⅲ層以下はいわゆる赤土とも呼ばれる関東ローム層です。関東ローム層は主に富士山起源の火山灰が堆積したものです。上部から立川、武蔵野、下末吉、多摩ローム層に分けられますが、旧石器は今のところ立川ローム層の基底部に近いⅩ層から出現します。
 Ⅵ層のATと呼ばれる、鹿児島県姶良(あいら)地方で起こった大噴火によって降下した姶良丹沢火山灰は、ほぼ日本全域に降下しており、時期の指標となっています。

 

石器の見方
各部名称
(模式図)

 

 

凡例

写真のスケールは、同時期の横に並んでいる石器・石製品に関してはおおよそ合わせてあります。

旧石器時代(約35,000年から16,000年前)

 立川ローム層Ⅹ層からⅢ層までの関東ローム層中の石器群。
 Ⅹ層からⅥ層段階が旧石器時代前半期にあたり、Ⅴ層からⅢ層段階が旧石器時代後半期にあたります。
 打製石斧を伴うナイフ形石器文化からはじまり、旧石器時代最終末期のⅢ層からは細石器文化に移行します。
 主にナイフ形石器の形状や加工方法、ともに出土する石器の組み合わせなどで文化層が変化します。

Ⅹ層

 世田谷最古の石器は約35,000年前の旧石器時代初頭のものであり、全国でも最古級のものです。
 ナイフ形石器、台形様石器、打製石斧や刃部のみ磨かれた局部磨製石斧などが出土します。
 石材は地元で採取できるチャートや砂岩が多く使用されています。
 瀬田遺跡出土の打製石斧は長さ22センチメートルで、全国でも最大級の石斧です。

 

 

Ⅸ層

 層位はⅨ層にあたります。
 石刃技法が顕著に確認され、ナイフ形石器などの剥片石器に使用されます。
 定型的なナイフ形石器が出現します。
 石斧には遠隔地石材である凝灰岩が多用されます。

 

Ⅷ層  Ⅷ層自体が世田谷区ではほとんど確認されておらず、石器も発見されていません。
Ⅶ層

 層位は第2黒色帯(BB:ブラックバンド)と呼ばれる層の上部にあたります。
 引き続きナイフ形石器や、搔器、削器、楔形(くさぎがた)石器などが出土します。

 

Ⅵ層

 層位はAT層にあたります。
 小型の剥片石器が主流となり、石材は遠隔地産の黒曜石(特に長野県産)が主流となります。
 瀬田遺跡出土の石器は、全石器中91%が黒曜石であり、いずれも長野県産の良質な黒曜石が使用されています。
 接合資料とは、バラバラに出土した石器が接合されたもので、石器製作の過程や人の移動などがわかる重要な手がかりとなります。

 

Ⅴ層

 旧石器時代後半期に入り、層位は第1黒色帯(BB:ブラックバンド)と呼ばれる層にあたります。
 遺跡の数は増えますが、小規模なものが多くなります。
 引き続きナイフ形石器や搔器、削器などが出土します。

 

Ⅳb層

 層位はⅣ層(ハードローム)の下部にあたります。
 切出形(きりだしがた)のナイフ形石器や、断面三角形の角錐状石器などが特徴的に出土します。
 この時期に、野外炉と考えられる礫群(焼けた礫の集合する箇所)が最も盛行します。

 

 

Ⅳa層

 層位はⅣ層(ハードローム)の上部にあたります。
 廻沢北遺跡出土ナイフ形石器は東北南部から北陸に産出する硬質頁岩を使用しています。
 堂ヶ谷戸遺跡出土のナイフ形石器は使用痕のある剥片と接合した資料です。
 下野毛遺跡の有樋尖頭器(ゆうひせんとうき)は、右先端部に大きな未加工部(=樋)を残します。

 

 

Ⅲ層

 旧石器時代最終末期、層位はⅢ層(ソフトローム)にあたります。
 槍先形尖頭器や、細石刃という小さな石刃(幅0.5cm×長さ2~3cm程度)を複数個、軸木にはめ込んで使用する組合せ道具が出現します。

 

 

縄文時代(約16,000年から2,500年前)

 Ⅱ層相当の石器群。気候が変わり土器が発明され、石器の様相は変化します。旧石器時代にも使われた尖頭器や打製石斧が出土し、新たに石鏃(せきぞく)や、全面を磨いた磨製石斧、石匙(いしさじ)、石錘(せきすい)などが出現します。

 また、石棒(せきぼう)や独鈷石(どっこいし)などの祭祀具や、ヒスイ製の大珠(たいしゅ)などの装身具が出現します。

 

縄文時代

 地面を掘り込んで作った住居跡や土坑から石器が出土する場合や、明確な遺構に伴わず遺物包含層であるⅡ層中から石器が出土する場合があります。
 縄文時代の打製石斧は主に土掘り具として使用され、磨製石斧が木の伐採・加工具として使用されたと考えられます。

 下山北遺跡出土の磨製石斧は輝緑凝灰岩(きりょくぎょうかいがん)が使用されています。
 堂ヶ谷戸遺跡出土スタンプ形石器は下面が水平になっており、磨石と同じように石皿と組み合わせて木の実などを磨り潰すのに使用します。
 祖師谷大道北遺跡出土の独鈷石は縄文時代のものが古墳時代住居の棚から出土した例で、区の有形文化財に指定されています。

 

 

 

 

 

弥生時代(約2,500年から1,750年前)

 生活様式が変化したことに伴い、石器の出土状況や様相は大きく変化します。
 弥生時代中期頃に大陸から銅(青銅)・鉄製品が渡来してくる影響で、石器は徐々に出土数が減少していきます。一方で、稲作文化の開始により稲を刈り取るための石包丁や、金属器を研ぐための砥石などが出現します。

 

弥生時代

 世田谷区では弥生時代後期の集落が特に多く、石器も後期のものが多く出土します。
 住居跡などの遺構から出土することが多くなります。
 下山遺跡出土の石皿は中央に黒色顔料が付着しており、パレットとして使用していたと考えられます。
 抉入柱状片刃石斧(えぐりいりちゅうじょうかたばせきふ)は大陸系磨製石斧の一種で、中央に柄を装着するための抉りが入っています。

 堂ヶ谷戸遺跡出土の磨石は部分的に金属などを押し当ててついたと考えられる線条痕があります。

 

 

古墳時代(約1,750年から1,300年前)

 弥生時代以降、銅(青銅)・鉄製品が増加していき、砥石などを除く実用的な石器は減少していきます。
 一方で古墳に副葬する石製模造品や玉類などの石製品が出土します。

 

古墳時代

 層位中からの出土はほぼ無く、住居跡などの遺構や古墳から石器・石製品が出土します。
 野毛大塚古墳からは多くの石製模造品が出土しており、国の重要文化財に指定されています。
 石製模造品はやわらかい滑石でつくられた、刀子や斧、鎌などを模した仮器で、農工具としての実用性はなく、祭祀具として使用されます。

 

石器の移り変わりまとめ

 本展示では、世田谷区内遺跡から出土した石器の写真を掲載しながら、旧石器時代に石器が登場してから
古墳時代の石製模造品に至るまでのおおまかな移り変わりをまとめてきました。
 弥生時代中期以降、各種の道具は銅(青銅)・鉄製品が主に使用されるようになっていくものの、石器は旧石器時代から縄文時代と、とても長い年月使用され続けてきました。
 その間、石器の器種自体時代によって新たに出現したり消滅したりと変化があり、それぞれの器種の形そのものも時代によって石材や打ち割り方・磨き方が変化していきます。
 時代によって、生活に必要な器種が成形され、使用にあたって効率の良い形に変化し、当時の生活様式に合わせた石材が選択されていたのです。
 石器編年を確立することで、石器と共に出土する遺物や石器が出土する遺跡の年代を求めることが可能になり、また当時の生活様式の変遷や地域間の交流などを比較考察することが可能になります。
 最後に、世田谷区内遺跡出土石器の移り変わりを解説付きの模式図表でまとめます。

世田谷出土石器の移り変わり まとめ表

 

 

おわりに

 本展示では、前述した通り歴史(とくに考古学)研究の基礎となる石器の移り変わりについて、
世田谷区内遺跡出土の石器を対象としてまとめたものになります。
 今後の研究や調査のための基礎知識としてまとめたものですので、世田谷の遺跡を調べる際などにご活用いただければ幸いです。

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