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世田谷の歴史

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デジタルミュージアム特別展示

掲載日:2021年3月27日

【デジタルミュージアム内展示】2021世田谷区遺跡発掘調査速報展

2021世田谷区遺跡発掘調査速報展「発掘された瀬田遺跡のムラ」

開催日程:2021年3月27日(土)~5月30日(日)

開催場所:世田谷区立郷土資料館 新館2階 企画展示室左側ミニ展示コーナー

  詳  細  :イベントページ

 

瀬田遺跡の概要

 世田谷区瀬田1・2丁目に所在する、旧石器時代~古代、中近世までの複合遺跡です。
 規模は東西約450m、南北約550mと推定されます。
 これまでの40次にわたる発掘調査や、整理作業の結果から、遺跡内の集落の様相がより明らかになってきました。
 本展示では、最新の調査結果を紹介し、旧石器時代から古代までの瀬田遺跡の集落(ムラ)の実態に迫ります。旧石器時代の石器、縄文時代の土器・石器、古墳時代の土器・石器・鉄製品、古代の土器・石器・鉄製品・鍛冶関連遺物など、100点余りの遺物を展示しています。

 

↑瀬田遺跡推定範囲・発掘調査範囲

 

展示の見どころ-遺物クイズ

遺物クイズにチャレンジしてみましょう。
※クイズの答えはページ一番下にあります!


Q1:この石器(下図)の大きさはどのくらいでしょうか?

 

Q2:この遺物(下図)は何でしょうか?


Q3:この土器(下図)は何時代のものでしょうか?

 

Q4:この遺物(下図)は何でしょうか?

 

Q5:この遺物(下図)は何でしょうか?

旧石器時代

 旧石器時代に人々が活動した痕跡は、台地の西端となる第11次調査区が中心で、立川ローム層Ⅳa層からⅩ層までの層準に、8期にわたる文化層の存在が確認されています。
 第8文化層では 局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)が製作され、第7・6文化層では黒曜石(こくようせき)製ナイフ形石器が製作されるなど、遺跡内での石器製作が活発に行われます。第5文化層になると搬入品の石器が多くみられ、第4文化層ではチャートなど、黒曜石以外の石材が多く使用されます。第3文化層になると再び黒曜石が多く使用されるようになります。第2・1文化層の資料は比較的少ないものの、第1文化層からは尖頭器(せんとうき)が出土するなど、人々の活動が継続していたことがわかります。

↑11次第5文化層1号礫群

 

縄文時代

 縄文時代前期中葉(ちゅうよう)・後葉(こうよう)と中期中葉から末葉(まつよう)の住居跡(じゅうきょあと)が調査されています。前期中葉(黒浜(くろはま)式期)の住居跡は、遺跡東側の第26次調査区で確認されており、小規模な集落があったと考えられます。前期後葉(諸磯b(もろいそびー)式期)になると集落の範囲は遺跡西側に移り、行善寺坂(ぎょうぜんじざか)と呼ばれる谷を囲むように住居跡が分布します。また昭和初期には、貝層を伴う住居跡が調査されており、多摩川最奥の貝塚(かいづか)としても知られます。
 中期の集落の開始は、中期中葉(勝坂2(かつさかに)式期前半)と考えられており、末葉(加曽利E4(かそりいーよん)式期)まで住居が作られています。住居跡の分布範囲は、東西約280m、南北220mと考えられ、住居跡は弧状または馬蹄形状に展開していると推測されます。

↑63号住居跡全景

 

弥生時代 (本展示では弥生時代の遺物は展示していません)

 瀬田遺跡では、弥生時代後期に営まれた集落が確認されています。台地北西部において、環濠(かんごう)、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、住居跡、ピットが検出され、遺物は弥生土器が出土しています。
 また遺構の立地をみると、環濠に囲まれた居住域(きょじゅういき:環濠と住居跡にて構成される集落)と墓域(ぼいき:方形周溝墓群)が東西に隣接していることがわかっています。そのため、瀬田遺跡の集落は、居住域(環濠集落)と墓域(方形周溝墓群)がセット関係をなす典型例として位置付けられます。

 

古墳時代

 古墳時代初頭の集落は、台地の北西側に広がり、弥生時代の集落北側を中心として、環濠(かんごう)をまたいで展開されます。住居跡出土の土器から、当初環濠を避けて集落が展開され、徐々に環濠を埋め戻しつつ台地平坦部に展開したと推測されています。
 古墳時代中期の住居跡や遺物は近年の調査で新たに確認されましたが、その詳細はまだ明らかになっていません。
 古墳時代後期になると住居跡が再び多く確認されるようになり、北西部を中心として台地先端部にも住居跡が分布しています。そのため、北東部を除く台地全域に集落が展開したと考えられます。

↑149号住居跡遺物出土状況

古代(奈良・平安時代)

 奈良時代の集落は、台地南西斜面に帯状に広がり、台地奥部では火葬墓(かそうぼ)が確認されます。その集落と墓地の構成を伺う例として位置付けられます。
 平安時代では、26次調査区の台地中央部で、住居跡や掘立柱建物跡が集中しており、銙帯金具(かたいかなぐ:鉈尾(だび))、墨書土器(ぼくしょどき:「〇寺」の文字)、瓦塔(がとう)といった特殊な遺物が確認されます。
 このような調査結果により、この瀬田遺跡は、平安時代中期に書かれた辞書『和名抄(わみょうしょう)』に記されていた、「勢多郷(せたごう)」の中心部分だと推測されます。なお、居住域の移動に伴い、台地の奥へと墓域も移動したと推測されます。

↑146号住居跡全景

 

 

遺物クイズの答え

Q1:この石器(下図)の大きさはどのくらいでしょうか?


→A:長さ4.5㎝、幅1.8㎝、厚さ0.6㎝、重さ4.7g
写真:ナイフ形石器 黒曜石製 旧石器時代第6文化層 11次2号ブロック出土 (展示No.6)

 この石器はナイフ形石器と呼ばれるものです。ナイフ形石器は、食べ物を切ったり、狩りの道具として使ったりしていました。
  想像していたよりも、大きかったでしょうか?それとも小さかったでしょうか?
  今回の展示では、ナイフ形石器に加え、石錐や尖頭器などといった石器も展示していますので、その大きさを確かめたり、他の石器と大きさを比較してみてください。

 

 

Q2:この遺物(下図)は何でしょうか?


→A:玦状耳飾り

写真:滑石製 縄文時代 26次A区C7グリッド出土 (展示No.40)
  この遺物は玦状耳飾り(けつじょうみみかざり)と呼ばれるものの一部です。
  縄文時代のアクセサリーの一つで、イヤリングやピアスとして使われていました。
  この遺物は玦状耳飾りの一部で、完形品は丸い形の石に切れ目が入った形をしています。
  実際の展示でも、この耳飾りの全体像がどんな形かを確かめてみてください。  
  

 

Q3:この土器(下図)は何時代のものでしょうか?


→A:古墳時代

写真:高坏 古墳時代中期(5世紀後葉) 33次55号住居跡出土 (展示No.70)
  この土器は土師器(はじき)と呼ばれる古墳時代の土器です。縄文土器から弥生土器の系統を継ぐ軟質の土器です。
  この土師器は、食べ物を盛ったり、調理したり、お供えしたりといった様々な用途使われました。
  今回は、高坏、甕、壺など多くの土師器を展示していますので、古墳時代に使われた土器がどのような形であったのかを確かめてください。

 

 

Q4:この遺物(下図)は何でしょうか?


→A:瓦塔
写真:土製 古代 26次表土(C区南側)出土 (展示No.54)   

 この遺物は瓦塔(がとう)と呼ばれるものの一部です。
 瓦塔は古代の遺物で、仏塔を真似て作ったミニチュアの土製品です。
 この遺物は瓦塔の屋根(屋蓋部)の部分の一部です。
 瓦塔の模式図も展示していますので、この瓦塔の全体像がどんな形かを確かめてみてください。  

 


Q5:この遺物(下図)は何でしょうか?


→A:折った鉄鏃を束ねたもの
写真:鉄鏃 鉄製品 平安時代(9世紀末葉) 146号住居跡(旧段階)出土 (展示No.63)

 この遺物は、2つに折った鉄鏃(てつぞく)を束ねたものです。
  住居跡の壁溝から出土している特殊な出土例です。
  わざわざ折って束ねたのは何故なのか、その理由は詳しくは分かっていません。
  実物を確かめて、折った意味、束ねた意味を考えてみてください。  
  

  

 

 

 

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