掲載日:2022年4月14日
世田谷区オフィシャルチャンネル(YouTube版)「せたがや動画」で、かつて世田谷で行われていた五月の節句行事について紹介しています。
●せたがや動画「世田谷の五月節句~病除けと子どもの成長を願って~」
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民家園では、世田谷の農家の昔のくらしを身近に感じていただくため、「暮らしの歳時記 民間暦」として、主に農家の年中行事を再現展示しています。
5月5日は端午(たんご)の節句として知られています。区内では「五月節句」や「男の節句」などと呼び、農家にとっては、忙しい農作業の合間の骨休めの日のひとつでした。
【写真1】旧加藤家前庭の鯉のぼり
とび職人に6メートルほどの柱をたててもらい、柱の先端には竹製の籠玉(かごだま)をつけます。昭和の中ごろまでよく見られた飾り方です。昭和の初めころまでは、木綿の布製の鯉のぼりが一般的でした。
【写真2】来年作る柏餅用の葉
旧安藤家住宅主屋のミソベヤで保管展示している、柏餅用の柏の葉です。園内の柏の木から、次の年に使う新しい葉を採り、蒸して乾燥させています。民家園ボランティアの協力で、園内の古民家の神棚や五月人形などにお供えする柏餅を、昔ながらのやり方で手作りしています。
【写真3】五月飾りと赤い敷物
大正期頃までは、壇を用いない平飾りをすることもありました。また、赤色は疱瘡(ほうそう)をはじめとする病気をはらうとされ、こどもの無事な成長を願い、五月飾りの敷物などに取り入れられていました。