掲載日:2022年4月14日
世田谷区オフィシャルチャンネル(YouTube版)「せたがや動画」で、かつて世田谷で行われていた養蚕について紹介しています。
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民家園では、世田谷の農家の昔のくらしを身近に感じていただくため、「暮らしの歳時記 農事暦」として、かつての農家の生業を再現展示しています。
養蚕は明治時代、全国的に隆盛した産業で、世田谷地域においても多くの農家で盛んに行われていました。できた繭は選別され、上等な繭だけを出荷し、農家は貴重な現金を得ていました。
二頭が一緒に作った繭(玉繭)や、汚れてしまった繭(びしょ繭)など出荷できない繭は、真綿にしたり、糸に引いたりして、家族が使う着物などの衣類や布団などとして自家利用されていました。
【写真1】過去の蚕の飼育の様子
写真の蚕は、角又(荒籾)(かくまた(あらもみ))という品種です。明治35年頃に荒籾角太郎がつくった品種で、大正初めに全国で飼育されていました。
蚕には、たくさんの糸がとれるように長い糸を吐くものや、大きな繭を作るもの、そして育てやすい性質のものなどいろいろな種類があり、繭の生産量をあげるために多く改良がおこなわれました。
※蚕種の提供:国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 遺伝資源研究センター
【写真2】過去の解説会における、繭の加工の実演(角真綿作り)
【写真3】過去の解説会における、繭の加工の実演(座繰りを使った糸引き)