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松陰神社

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史跡・名勝・天然記念物

松陰神社 (しょういんじんじゃ)

資料ID 21859
所在地 若林4丁目35番地1号 松陰神社 公開 [マップで表示

 松陰神社のある一角は、江戸時代、大夫山あるいは長州山と呼ばれていた。この地に、長州藩の抱屋敷があり、萩藩の当主が毛利大膳大夫と称したことに由来する。
 安政の大獄で死罪となった吉田松陰の遺骸は、当初、小塚原回向院に(現在の荒川区南千住)葬られたが、文久3年(1863)正月、松陰の門下生であった高杉晋作、伊藤博文らの手により、この地に改葬された。その際に、松陰と同様に安政の大獄で命を落とし回向院に葬られていた頼三樹三郎、小林民部らの遺骨もこの地の毛利家の抱屋敷に改葬された。しかし、元治元年(1864)に禁門の変が起こり、幕府による長州征伐が行われると、この地の抱屋敷も没収され、敷地内にあった松陰らの墓も破壊された。
 薩摩藩、長州藩らを中心に明治新政府が樹立され、明治4年(1868)藩命を受けた木戸孝允が新たに墓碑を建て、明治15年(1882)には、旧藩主毛利元徳及び松陰の門人、旧知の者が墓の近傍に社を築いてその霊を祭った。これが松陰神社である。
 境内には、吉田松陰らの墓があり、社殿の東側には、松下村塾の建物が再現されている。
【関連項目】
・吉田松陰 [https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/21916/detail/]
・井伊直弼 [https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/21915/detail/]

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