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世田谷の歴史

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世田谷の歴史

掲載日:2020年12月25日

世田谷区の歴史略年表

世田谷区の歴史略年表

1.本年表は、世田谷区の歴史の事項の概要が記載されています。区の歴史と全国的な歴史を平行して学ぶことができるよう、全国的な歴史事項も記載した年表になっています。詳細は『世田谷の歴史と文化 世田谷区立郷土資料館 展示ガイドブック』をご覧下さい。

2.本年表は、原始時代より平成30年(2018)までを記載しました。

3.「◎」は全国的な歴史的事項を示しています。

   例:◎氷河期が終わり、温暖化が始まる

4.「☆」は世田谷の歴史をより深く理解するためのトピックスとしてまとめたものになります。

   例:☆世田谷の歴史ポイント

  世田谷から多くの石器が出土していることから、この時期には世田谷に人が住んでいたことがわかります

5.「●」は説明が必要な用語解説になります

  例:●板碑とは?

時代区分
世田谷の歴史

旧石器時代

(先土器時代)

約3万5千年前~約1万5千年前

約3万5千年前:世田谷最古の人々が国分寺崖線沿いに生活の痕跡を残す
写真:ナイフ形石器(嘉留多遺跡出土)
代表遺跡:嘉留多遺跡(かるたいせき)、下山遺跡、堂ヶ谷戸遺跡(どうがやといせき)、瀬田遺跡・瀬田城跡
☆世田谷の歴史ポイント
 世田谷から多くの石器が出土していることから、この時期には世田谷に人が石器を加工して生活していたことがわかります。2020年現在、世田谷最古級の石器は「ナイフ形石器」です。

縄文時代

約1万5千年前~約2千数百年前

約1万3千年前

◎氷河期が終わり、温暖化が始まる

 

◎土器作りが始まる

☆世田谷の歴史ポイント

 世田谷から多くの土器が出土していることから、土器を使用した煮炊きが行われていたことがわかります

縄文時代中期:世田谷に大規模な集落が現れる

桜木遺跡出土の縄文時代遺物一括

代表遺跡:桜木遺跡、根津山遺跡

弥生時代
紀元前100年頃~3世紀頃
約2千数百年前
◎大陸から九州北部に稲作が伝えられる
 
紀元前1世紀頃
◎倭(日本)の国王が漢(中国)に使いを送る
 
◎関東地方に弥生文化が伝わる
 
紀元後1世紀の始まり
57年
◎倭の奴国の王、後漢(中国)に使いを送る
 
3世紀頃
◎倭の邪馬台国の女王・卑弥呼、魏(中国)に使いを送る
 
弥生時代後期:世田谷に環濠を伴った集落が現れる
代表遺跡:堂ヶ谷戸遺跡、下山遺跡、瀬田遺跡・瀬田城跡、円乗院遺跡
古墳時代
3世紀半ば~8世紀初め頃
4世紀末から5世紀初め頃:砧中学校古墳群7号墳、上野毛稲荷塚古墳野毛大塚古墳などが築造される
野毛大塚古墳
☆世田谷の歴史ポイント 
野毛大塚古墳は、その特殊な墳形や出土品など多くの特徴により、百舌鳥・古市古墳群(現在の大阪府)などの畿内王権との関わりが深いことが指摘されています
 
593年
◎聖徳太子(厩戸王)が摂政となる
 
645年
◎乙巳の変(大化の改新)が起こる
 
701年

◎大宝律令が作られる

奈良時代
710年~794年

710年

◎平城京に遷都する
 
奈良時代から鎌倉時代にかけて、火葬墓が造られるようになる
火葬墓(奈良時代)
写真:火葬墓(下山遺跡)
代表遺跡:下山遺跡
●火葬墓とは?
 火葬墓は死者を火葬することで 日本では700年に没した留学僧の初めての例になります。火葬は畿内から始まり、次第に各地へ広まっていました。世田谷にも奈良時代には火葬が行われていたことが下山遺跡の火葬墓の検出例からわかります
 
741年
◎聖武天皇が諸国に国分寺・国分尼寺建立の詔を出す
平安時代
794年~1185年
794年
◎平安京へ遷都する
 
935年~940年
◎関東で平将門の乱が起こる
 
940年
◎平将門の乱が鎮圧される
 
1016年
◎藤原道長が摂政となる
 
1019年
◎藤原頼通が関白となる(摂関政治の全盛期となる)
 
平安時代後期:宇奈根・観音寺木造十一面観音立像が造立される
 
1185年
◎平氏が滅亡する(壇ノ浦の戦い)
鎌倉時代
1185年~1333年
1185年
◎源頼朝は朝廷に守護と地頭の設置を認めさせる
 
1192年
◎源頼朝が征夷大将軍となる
 
11世紀~13世紀頃:喜多見で緑釉・灰釉陶器、中国産の白磁・青磁など高級陶器が使われる
遺跡:喜多見陣屋遺跡
 
1264年
木田見成念の娘・熊谷尼とその弟・長家が領地(現在の喜多見)をめぐって争う(『熊谷家文書』)
●木田見氏とは?
 木田見氏は、現在の世田谷区喜多見周辺に領地をもっていた豪族になります
 
1274年
◎元軍が九州北部に襲来する(文永の役)
 
1278年
現存する区内最古の板碑である大日一尊種子板碑が作られる
遺跡:堂ヶ谷戸遺跡出土
●板碑とは?
 死者の供養や追善のために造られました
 詳しくは館蔵板碑資料をご覧下さい
 
1281年
◎再び元軍が九州北部に襲来する(弘安の役)
 
1333年
◎鎌倉幕府が滅亡する(新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼす)
南北朝時代・室町時代
1336年~1573年
1333年
◎後醍醐天皇が建武政権(1334年~1336年)を打ち立てる
 
1336年
◎足利尊氏が京都に入り、新たな天皇を立てる(北朝の成立)
◎後醍醐天皇は吉野に逃れる(南朝の成立・南北朝の動乱)
 
1338年
◎足利尊氏が征夷大将軍となる
 
1376年
世田谷領主の吉良治家が、世田谷郷の上弦巻半分の地を鶴岡八幡宮に寄進する(『鶴岡八幡宮文書』)
☆世田谷の歴史ポイント
この史料によって、吉良氏が世田谷の地を領有していたことが分かります
 
1378年
◎足利義満が幕府を京都の室町に移す
 
1392年
◎南朝と北朝が統一し、動乱が終結する(南北朝の統一)
 
1467年~1477年
◎応仁の乱が起こる(戦国時代の始まり)
 
1480年
世田谷吉良氏の一族である弘徳院殿が没する(豪徳寺の前身となる弘徳院は、この頃に創建される)
 
1560年頃
北条氏康の娘、吉良氏朝に嫁ぐ(『北条幻庵覚書』)
北条幻庵覚書
 
1573年
◎室町幕府が滅亡する(足利義昭が織田信長によって京都を追放される)
安土・桃山時代
1573年~1603年
1573年
吉良氏朝は父頼康の菩提のため、龍鳳寺を中興し、勝光院と改称する(曹洞宗に改宗)
勝光院
写真:勝光院
 
1578年
小田原城主・北条氏政は、世田谷新宿に楽市の「掟書」を出す楽市掟書
☆世田谷の歴史ポイント
 小田原の北条氏によって開かれた楽市は、現在の「ボロ市」の起源となります
 
1582年
◎本能寺の変が起こる(織田信長が自害する)
 
1590年
◎豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼし、天下統一をする
 
◎北条氏滅亡後、関東には徳川家康が入国する
 
1590年
吉良氏の旧家臣の大場氏や江戸氏(後、喜多見姓に改める)が帰農する
 
1592年
吉良氏の旧家臣、関加賀守や大場越後守らが、勝國寺の薬師三尊・十二神像を修復(『薬師如来胎内納入文書』)
 
1597年
小泉次大夫が世田谷領の用水開削工事に着手する(1611年、六郷用水(次大夫堀)が完成)
☆世田谷の歴史ポイント
 次大夫堀という名称は、工事を指揮した代官・小泉次大夫の名に由来しますが、現在の大田区にあたる六郷領の開発を目的として開削されたため、六郷用水ともいいます
用水経路

画像:用水経路

 

1600年

◎関ヶ原の戦いが起こる

江戸時代
1603年~1867年
1603年
◎徳川家康が征夷大将軍となる
 
1615年
◎豊臣氏が滅亡する(大坂の陣)
 
1633年
世田谷15ヶ村(後に20ヶ村となる)が井伊家彦根藩世田谷領となり、吉良氏旧家臣の大場市之丞吉隆が世田谷代官に任ぜられる
☆世田谷の歴史ポイント
 世田谷代官の仕事は、①世田谷領の年貢の収納、②領内の治安取り締まり、③藩邸で仕事をする人の手配、④変死人の検視、⑤災害場所の見分など、でした
知行図2(近世中期)
画像:知行図(近世中期)
 
1659年
彦根藩2代藩主の井伊直孝が没し、豪徳寺へ葬られる(弘徳院から豪徳寺に改称する)
これ以後、井伊家の菩提寺として、直孝の娘・掃雲院と側室の春光院によって伽藍が整備される(1679年に完成する)
豪徳寺仏殿
写真:豪徳寺(撮影:清水襄)
☆世田谷の歴史ポイント
 この仏殿は、井伊直孝の娘・掃雲院が黄檗宗(臨済宗の一派)に帰依していたことから、黄檗宗の建築様式が随所に仏殿になっています。また、仏殿内には直孝の菩提を弔うために5体の像が納められています。
 
1678年
珂碩上人(かせきしょうにん)、九品仏淨眞寺を開創する
浄真寺の本堂と三仏堂の建設を弟子・珂憶(かおく)に託す(1698年に上棟する)
浄真寺
☆世田谷の歴史ポイント
 浄真寺本堂の西側に3棟の仏堂が並び、中央が上品堂、北側に中品堂、南側に下品堂が配置されており、3棟とも同じつくりで、内部に阿弥陀如来像を3体ずつ安置されている全国的にも珍しい形式になります
 
1683年
喜多見重政が1万石の大名になる(1689年、喜多見家が断絶する)
☆世田谷の歴史ポイント
 喜多見氏は江戸氏の一族で、喜多見の地へ移住したことから喜多見氏を名乗ったと伝えられています
 
1716年
◎徳川吉宗が「享保の改革」を行う
 
1739年
世田谷代官の大場市之丞が年貢未納によって追放される
世田谷上町の大場盛政と用賀村の飯田平兵衛が市之丞の後任となる
(代官二人制の始まり)
 
1786年
世田谷代官の飯田平兵衛が年貢未納によって追放され、荒居市郎兵衛以謙が後任となる
 
1787年
◎松平定信が「寛政の改革」を行う
 
1812年頃
大山詣が流行する(『道標および供養塔』)
 
1830年
世田谷代官の荒居市郎兵衛善応が隠居を命じられ、翌年、大場隼之助が世田谷代官となったことから、世田谷代官が一人制に戻った
 
1841年
◎水野忠邦が「天保の改革」を行う
 
1853年
◎米国使節・ペリーが浦賀へ来航、翌年、日米和親条約が結ばれる
 
1858年
◎日米修好通商条約が結ばれる
 
◎長州藩士・吉田松陰が江戸にて投獄され、翌年、処刑される(安政の大獄)
画像:吉田松陰
 
1860年
世田谷代官の室・大場美佐が日記を書き始める(『大場美佐の日記』1860年~1904年)
 
1860年
桜田門外の変が起こる(彦根藩13代藩主の井伊直弼が江戸城へ登城中に水戸浪士らの襲撃を受け、暗殺される)
☆世田谷の歴史ポイント
 大場美佐によって記された『大場美佐の日記』には、井伊直弼が暗殺された当日の出来事について記されています
 
1867年
◎江戸幕府が滅亡する(徳川慶喜が大政奉還を行う)
明治時代
1868年~1912年
1868年
◎江戸城が開城される
 
◎江戸が東京となる
 
◎年号が明治と改元される
 
世田谷代官職が廃止される
 
1871年
幼学舎(桜小学校の前身)、太子堂郷学所(若林小学校の前身)が開校する
☆世田谷の歴史ポイント
 幼学舎は最後の世田谷代官であった大場信愛によって、区内の小学校の設立に先だって建てられた学校になります
幼学舎
写真:幼学舎
 
1872年
年末の12月のみに開催されていたボロ市は、新暦の採用によって、旧暦の年末にあたる1月15日の年2回の開催となる
 
1874年
◎板垣退助が国会の早期開設を政府に提出する(民撰議院設立の建白書)
 
1877年
◎西南戦争が起こる(士族による最後の反乱)
 
1881年
◎国会を開設することが発表される(国会開設の勅諭)
 
1882年
吉田松陰の教えを受けた人々によって松陰神社が築かれる
☆世田谷の歴史ポイント
 松陰神社の境内に建っている石灯籠は、松陰と縁のある人物によって建てられたもので、そのうちの1つが初代総理大臣の伊藤博文によって建てられたものになります
松陰神社
写真:松陰神社
 
1891年
目黒村駒場から世田谷村池尻にかけての地に、騎兵第一大隊が移転する(以後、三宿、太子堂周辺に軍施設が増加する)
☆世田谷の歴史ポイント
 軍事施設の移転は、軍人を相手とする各種サービス業などが発展する一因となっただけではなく、付近の農家もこれらの施設を相手に蔬菜類の販売や、下肥の入手などの恩恵を受けました
 
1889年
◎大日本帝国憲法が発布される(翌年、施行される)
 
1890年
◎第1回の国会(帝国議会)が開かれる
 
1894年~1895年
◎日清戦争が始まる(1895年、下関条約を結ぶ)
 
1904年~1905年
◎日露戦争が始まる(1905年、ポーツマス条約を結ぶ)
大正時代
1912~1926
1914年~1918年
◎第一次世界大戦が始まる(1918年、終結する)
 
1923年
世田谷村が世田谷町となる
 
1923年
◎関東大震災が発生する 
 
1924年
玉川電気鉄道砧線が開通し、多摩川から都心に砂利を運搬する
写真:玉川電気鉄道大蔵駅の砂利積み込み施設(出典:東京鉄道局運輸課『砂利に関する調査』大正14年)
 

1924年

玉川村で「玉川全円耕地整理事業」が実施される

☆世田谷の歴史ポイント

 世田谷区の耕地整理事業の中でも、終了するまでに30年の歳月(1954年に完了)がかかる大規模な耕地整理事業でした

昭和時代
1926年~1989年
1929年
◎世界恐慌が起こる
 
1930年
◎昭和恐慌が起こる
 
1931年
◎満州事変が起こる
 
1932年
◎五・一五事件が起こる
 
1932年
東京市の区域が拡張され、荏原郡世田谷町、駒沢町、松沢村、玉川村が合併し、東京府東京市世田谷区が成立する
 
1933年
◎日本は国際連盟を脱退する
 
1936年
◎二・二六事件が起こる
 
1936年
北多摩郡千歳村と砧村が世田谷区に編入され、現在の区域となる
 
1937年~1945年
◎日中戦争が始まる
 
1939年~1945年
◎第二次世界大戦が始まる
 
1941年~1945年
◎太平洋戦争が始まる
 
1944年
B-29が世田谷を初めて空襲する
 
1944年
◎学童の集団疎開が始まる
 
1945年
空襲により、世田谷区役所庁舎など焼失する
画像:「消せば消せる焼夷弾」ポスター
 
◎広島と長崎に原爆が投下される
 
◎日本はポツダム宣言を受け入れる(第二次世界大戦の終結)
 
1946年
◎日本国憲法が発布される(翌年、施行される)
 
1950年~1953年
◎朝鮮戦争が起こる(1953年に停戦する)
 
1951年
◎サンフランシスコ平和条約に調印する
 
1964年
郷土資料館開館
郷土資料館ポスター
写真:郷土資料館ポスター
☆世田谷の歴史ポイント
 郷土資料館は、世田谷区制30周年事業の一環として開館された、都内で最初に開館した公立博物館です。館内には区内を中心とした歴史・民俗・考古資料等が収集・保存され、一般に公開されています
 
1977年
世田谷区文化財保護条例が制定される
 
1980年
岡本公園民家園が開園する
☆世田谷の歴史ポイント
 世田谷から消えつつある農業の原風景を残し、次世代に伝えていくため開園されました
 
1988年
☆世田谷の歴史ポイント
 現在、世田谷区内に残る水田は次大夫堀公園のみになり、毎年子ども達が田植えや稲刈り体験をし、江戸近郊の農村生活にふれあうことのできる場所となっています
平成時代
1989年~2019年
1995年
◎阪神・淡路大震災が起こる
 
2011年
◎東日本大震災が起こる
 
2018年
野毛大塚古墳出土品が国重要文化財となる

【参考文献】

1.世田谷区郷土資料館『世田谷の歴史と文化 世田谷区立郷土資料館展示ガイドブック』

2.世田谷区立郷土資料館『地図でみる世田谷

3.世田谷区立郷土資料館『世田谷区立郷土資料館開館50周年記念特別展図録「大館蔵品展」

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